Tottori diary

特集
とっとりの食とっとりの文化とっとりの仕事とっとりの子育てとっとりの魅力発信

「やりたい」を形に。事業を通して、地域を笑顔に。

暮らしと切っても切り離せないのが仕事。働き方は人それぞれだが、自分の夢を起業という形で叶えた人もいる。昨年からとっとりdairyインフルエンサーとして活動し、30代の同世代経営者でもある平尾とうふ店の平尾隆久さん(鳥取市河原町)と、CAFE2020の福留大樹さんによる対談を企画。それぞれ地元で事業を始めるきっかけや、地域で事業をする上で大切にしていることなどを聞いた。

CAFE2020

カフェ

CAFE2020

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大山町出身。シンガーソングライターを目指して上京した大樹さんは2017年にUターン。会社員を経て、東京の飲食店で働いた経験を活かして22年に「CAFE2020」を開店。地元農家さんの紹介冊子を作ったり、交流イベントを開いたりするなど、発信やコミュニティづくりも積極的に行なっている。

 
平尾とうふ店

豆腐店

平尾とうふ店

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鳥取市河原町出身。広島県で自動車整備の専門学校で学び、卒業後にUターンして整備士に従事。4年間働いたのち、祖父母が営んでいた豆腐屋を継ぐ。現在は自社店舗だけでなく、鳥取県東部を中心にスーパーなどで豆腐を販売して人気を集めている。

― まず、起業を目指したきっかけを教えてください。

平尾さん
平尾さん

もともとは鳥取市内で車の整備士をしていました。その仕事も楽しかったんですけど、定年まで自分がそこで働くイメージが湧かなくなり、自分で事業をしたいと思うようになりました。そんな時、おじいちゃんとおばあちゃんが実家でやっていた豆腐屋があるんですけど、高齢を理由に閉める話が出たんです。当たり前にあったものがなくなることに寂しさを感じ、事業をしたいという自分の夢をここから始めてみようと思ったのが最初でした。給料も安いし、食べていけないんじゃないかって、親や周りからは大反対されました(笑)。でも、これでやってだめなら自分に力がなかったと諦めがつくと思えたので、挑戦しました。

福留さん
福留さん

僕は、高校卒業後にシンガーソングライターになりたくて上京し、ライブ活動をしながら、それだけでは生活できないので飲食店でも働いていました。音楽でメジャーデビューを目指しながらも、バー、イタリアン、居酒屋…とさまざまな店で10年ほど働き、料理もどんどん好きになっていたしこれも表現の一つだなぁと思うように。人生の転機は結婚ですね。暮らすなら地元の大山町がいいなと思っていました。飲食店を持つ夢もありましたが、いきなり開業するのは妻の家族にも心配されるだろうと思ってUターンして3年間は会社勤めをしていました。そんな中である日、妻が大山町の空き家活用の補助金を見つけてくれ、それをきっかけに開店準備を始めました。

― 立ち上げの時は、どのようにスタートされたのでしょうか?

平尾さん
平尾さん

24歳で整備士を辞め、10カ月間祖父母のもとで働きました。当時はパック詰めする機械も豆乳を煮る機械もなく、釜が一つあるだけ。薪をくべて作っていたので、豆腐作りの仕事が終わってから毎日チェーンソーで丸太を短くし、それを薪割りしていました。後を継いでからは、きちんと事業として成り立つ形にしたかったので、設備投資をしていこうと思いました。でも、最初はどうやって機械を買えば良いかもわからず、インターネットで「豆腐屋、開業」と調べたり、豆腐の全国連合会に電話して相談したり。機械も変われば作り方も変わるので、有名店に片っ端から「工場見学させてください」と電話して、中四国や九州を中心に全国の豆腐屋を30軒くらい訪ねて作り方を教わりました。ありがたかったですね、本当に。今でもそのつながりでよくしてもらっている人もたくさんいます。

福留さん
福留さん

僕は、お店をするなら地元の大山口駅前だと前から決めていました。小さい頃は店も多かったのに、すっかり店が少なくなり寂しく思っていました。現在の店舗もかつては酒屋兼住居だった場所で、その昔には薬局もしていたそう。この地域に自分の経験を活かして少しでも貢献できたらいいなと思っています。

人が多い米子市でなくわざわざ大山町に店をつくること、それこそが一番の付加価値になると信じていました。まずここにはおいしい食材が豊富にあるんですね。東京にいる時には新鮮な野菜がなかなか手に入らなかったので、新鮮な食材を提供できるのは一つの武器です。地元の食材が食べられる店にしようと思い、若手農家さんを訪ねて回り、朝仕入れさせてもらった野菜がその日食べられるようにしました。それは野菜だけでなく、鶏肉や牛肉も大山町には良質な食材が多いので、それを提供することでお客さんには喜んでもらえていると思っています。

CAFE2020

CAFE2020

平尾とうふ店

平尾とうふ店

― 事業を広げるために、どんなことをされてきたのでしょうか。

平尾さん
平尾さん

具体的に何かをやったわけではありませんが、そもそも閉店しかけの豆腐屋だったので、やるしかない環境だったのも大きいですね。美味しい豆腐を作り、それをどうやってお客様に豆腐を届けていくか、それを毎日考え続けました。目の前のことに必死でしたね。まず豆腐の価値を高めることが大変でした。薪で作っていた頃なんて、3時間かけて豆腐15丁くらいしか作れなくて、それを300円くらいで売っていて。それじゃ絶対に事業として成り立たないですよね。それでも売れない時もあって、その時は近所の家を回ってインターホン押して「豆腐買ってくれませんか」と回ったこともあります。とにかく4、5年は耐え忍んだ時期でしたね。

― 何かきっかけはあったのでしょうか。

平尾さん
平尾さん

一つは、新聞やテレビなどのメディアに取り上げられたことですね。豆腐屋さんって昔は日本中に五万軒くらいあったのが、今や実働しているのは3千軒と言われています。それだけやる人が少なくなっている業界で「若者がやっている豆腐屋」は珍しかったと思います。メディアに紹介されたことをきっかけに、いろんな人に知ってもらえたと思います。鳥取は良くも悪くも人が少ない県なので、何かやれば目立ちやすいというのは事業をやる上ではプラスだと思います。

― 福留さんは、起業時にどんな工夫をされましたか。

福留さん
福留さん

オープンしたのがコロナ禍で、なかなか厳しい時期でした。少しでもオープン前に自分たちのことを知ってもらえているかが大切だと思ったので、できることはいろいろやったつもりです。一緒に完成し、成長する過程を見守ってもらうファンが増えたらいいなと思ってオープン1年前くらいから「DOME PROJECRT」と銘打って、改装工事をしている様子からSNSを使って紹介し始めました。それと米子市内で3千フォロワーとかいた人気のカフェがあり、そこで3カ月週4回、スープランチを提供するポップアップをさせてもらって知ってくださるお客さんが増えました。オープンする時にはフォロワーが2千人くらいいたので、認知度がある程度ある状態で始められたように思います。

― 事業をする上で、大切にされていることはありますか。

平尾さん
平尾さん

いわゆる営業をしないということはずっと守っています。それは自分たちの商品の価値を自分たちできちんと作ること。「取り扱わせてほしい」と言ってもらえるように良いものを作ることを心がけています。昔は、数を作って安く卸すのが当たり前でしたが、それでは作る労力と価格が釣り合ってなく、事業としてちゃんと成り立たせていけないんです。取引先ともお互いに良い関係性をつくっていきたいので「半額シールを貼らないで欲しい」とか「休むときは休みます」と言いたいことも伝えますね。良い仕事、良い商品作りにつながることだと思っています。

福留さん
福留さん

自分たちの店のことだけでなく、地域のことにつながったら良いなと思っています。時代の変化で、農業の担い手はどんどん少なくなり、耕作放棄地も広がっているのが現状です。でも、おいしい野菜を作って生計を立てている農家さんもいるよっていうのを知ってもらいたかったし、そういう人が僕らや地域を支えてくれている。そこに注目してもらえるようにしたいとずっと思っていたので、農家さんを紹介する冊子を作り、店内のテーブルに置いています。どんな人がいて、どんな思いで作物を作られているかを知ってもらうことで、食べる前に感じてもらうこともありますし、農業に興味を持ってもらうことにつながればと思っています。

― これからやりたいこと、目標があれば教えてください。

平尾さん
平尾さん

田舎で店をしていると学校とかに余った豆腐も売りに行くこともあって、保育園とか小学校の先生も喜んでもらえ、人が近いのは鳥取らしさかもしれません。本当にこれまでいろんな人に助けてもらったと思っています。自分で事業をしたいという思いがありましたが、やっぱり根本には豆腐のことがあります。いかに豆腐の良さを知ってもらえるかを考え、パフェやソフトクリームを提供したり、その場で揚げを食べてもらえるようにしているのも、豆腐を買うだけでなく食べる体験として届けたいと思っているからです。今後は飲食店もできたらしたいと思っています。

福留さん
福留さん

ここを拠点に地域に賑わいが生まれたら嬉しいですね。この駅前の地域は人口がわずかですが増えていて、ネイルの仕事をしてみたいとか、古着屋をやってみたいとか、そういう声も聞こえてくるようになって、だんだん雰囲気が変わってきたような気がします。月に一回のマッチングイベントもしていて、その中で成立した一組のカップルがこないだうちでプロポーズしたお客さんがいたんです。お客さんもいる中で彼が彼女に思いを伝えて、みなさん祝福モードでした。

― 鳥取で事業をしていると、地域のつながりも感じやすいですね。

平尾さん
平尾さん

まちづくりのためにやっているわけではないけど、巡り巡って、事業をすることで町の人にとってこの店があってよかったねと言われる場所になれたら一番いいですね。法人化をするときに、会社名を「クベル」にしたんです。薪をくべるという意味で、昔おじいちゃんたちが豆腐を作っていた頃は、そこの火に温まりに来ている近所の人とか、その隣でお酒を飲んでいる人がいて、なんか温かい空間ができていたんですね。自分もそういう人が喜んでもらえる場所を、薪をくべていくように育てていきたいという思いがあり、その名前に込めました。

福留さん
福留さん

事業と地域は一体というか、うちで言うと食材になるので直結していますね。うちも元々は農家の家なんです。帰ってきてから親の米作りも手伝い、ここで使う米も自分たちで作っているんです。これからはもっといろんな食材で生産から提供までやろうと思っています。店を通じて大山町のこと、農業のことに興味を持ってもらえる仕組みづくりはもっとしていきたいと思っています。

― それぞれが自分のやりたいこと、できることを通じて、身近なところから賑わいを生むことに自然とつながっているのですね。顔が見える人との距離感は、仕事をする上でもやりがいになりますね。お二人のように、鳥取で夢を形にする挑戦がこれからも生まれていけばいいなと思いました。貴重なお話を聞かせてもらい、ありがとうございました。