ホーム移住者インタビュー大学生と探る移住者たちの生き方現代から抜け出す人脈術『ハンガリー料理&スイーツ ハンガリー屋OTTO』 

移住者インタビュー

現代から抜け出す人脈術『ハンガリー料理&スイーツ ハンガリー屋OTTO』 

#{tags}

ひょんなきっかけで日本へ

 「最初に覚えた漢字は“鰻”でしたね。ハンガリーのお寿司屋さんの湯呑にあって…」

 流暢な鳥取弁、お洒落な家具に囲まれて にこやかに日本との出会いを語ってくれるのは、ハンガリー出身のツァイドラー・オットーさん。
在住の米子市を中心にキッチントレーラーで「ハンガリー料理&スイーツ ハンガリー屋OTTO」を営んでいる。

 1_キッチントレーラーの前で(オットーさん提供).jpg  

キッチントレーラーの前で(オットーさん提供)

 一度立ち寄れば たちまちファンになってしまうこと間違いなしの、今や鳥取を代表するオットーさんの屋台。当の私も偶然参加したイベントで彼とハンガリー料理に出会い、気がつけば今回の記事を仕立てているほどに強火で大好きになっていた。

 オットーさんが初めて来日したのは、17歳の頃だという。北海道の千歳空港に降り立ち、ネット上で知り合ったお友達に会いに新幹線で広島まで一人旅をしたというとんでもエピソードからインタビューは緩やかに始まった。
 冒頭の鰻は日本を好きになったきっかけのお寿司屋さんでのお話だ。そのまま独学で日本語を話せるようになったというのだから驚きだ。

留学で鳥取へ

―ななみん(インタビュアー)
 留学に対して不安とかはなかったんですか?

―オットーさん
 「沢山あったんですけど、こっちに来てみたら忙しくてそれどころじゃない、動かなきゃいけない!…気が付いたら落ち着いていて、なんとかなっていたり…ですね」

 2_一緒に暮らすお母さんの手料理を振舞っていただきながら、ご自宅でインタビュー.jpg  

一緒に暮らすお母さんの手料理を振舞っていただきながら、ご自宅でインタビュー

 そう、この感じ。初対面の時に感じた、肝が据わったような、彼から満ち溢れてるパワーを感じるようなコメントにオットーさんらしさが滲む。

 そんなオットーさんの鳥取との出会いは運命的で、聞けばハンガリーに住んでいたときのマンションのご近所さんが鳥取県中部にある三朝町の方で、日本や鳥取のお話を聞いていたそう。移住の際、日本の田舎に住みたい!ということで、倉吉が住みやすい街で有名かつ短期大学があるということで決めたそうだ。

―オットーさん
 「そのとき倉吉市役所の職員さんが挨拶に行った僕を連れて街を案内してくれたんです。そのことがとても印象に残っていて…」

鳥取でのホストファミリーとの生活や屋台のきっかけを嬉しそうに話すオットーさん。

―オットーさん
 「ハンガリーでは仮病は通用しませんね。これは日本の断るときのやさしさですよ。嘘にした思いやりです…」

などなど、本当に面白いお話ばかりでインタビューは続いていく。

人を頼って人生を進める

 初めて屋台を訪れたとき、間違いなく私をひきつけたのは、憧れのヨーロッパ地方の料理はもちろん、それ以上にオットーさんの活発で挑戦心に溢れているところ。
 毎日楽しいけど、なんとなくどこかで漠然といつも迷っていて勇気も自信もそこまで…。そんな大学1年生の私には、留学の末にこちらに移住して屋台をはじめたオットーさんの姿が眩く映ってならない。一体、何が彼を突き動かしているのだろう。

―ななみん
 ここまでお話を聞いていて感じたのですが、オットーさんは鳥取でほぼゼロからコミュニティを作ってるじゃないですか。どうしたらこんなに広がるんですか??

―オットーさん

 「時間の使い方だと思います。自由に時間を使って人と交流する時間を作ることが大事。今の私たちの生活を取り締まる機関というか、学校や職場ではそういう時間が取れないことが多いから。自分たちの時間が常に他人や自分よりも偉い人に奪われているのが現実。そこから自分の時間を取り戻すんです」

 確かに、誰かとゆったりと通話をしたり、将来のことや自分の幸せを考えたりする時間は、いつからか意識的に確保する対象になったように思える。

 3_屋台はいつも大人気だ(オットーさん提供).jpg 

屋台はいつも大人気だ(オットーさん提供)

―オットーさん

 「僕、前職はテレビの記者で取材とかやっていたんだけど」

なんと!めっちゃたのしそうなお仕事ですね!

―オットーさん
 「でも、大変でしたよ。もちろん、やりがいも人生経験として今後役立つところもありましたけど、自分や自分の大切な人に使える時間はほぼほぼなくなっていました。もし辞めなかったら、自分の事は今もおそらくあの時の状態のままで、何も進まないままだったでしょう。」

どこか懐かしそうに、ほんの少しのおどけ口調で、オットーさんはにこやかに続ける。

―オットーさん
 「だからそんな仕事ばっかりになっちゃって。例えば、人を頼って自分の人生を進めるとか、もっとステージを上げるとか、そういうことがやりづらい。悪く言うようですが、そういうようにできているんです。特に大企業とかはすごく、ね」

 人を頼って人生を進める…。
 留学の思い出や鳥取・倉吉との出会いのお話を伺った後だからだろうか。私もこれまでご縁で人生が何度も変わったことが思い当たる。きっと誰しも経験があるのではないだろうか。


―オットーさん
 「だからそういうシステムの中から逃げないとですよ」

ハンガリーよりも日本の方がこのシステムが濃い、と語るオットーさんだが、このシステムから逸走するために日本にいる節もあるそうで。

―オットーさん
 「自分がやりたいことをするためには自分でやってみることがいい。…そういう意味では鳥取は挑戦しやすい場所なのかもしれません」

 

迷っているうちは今じゃない。ゆっくりと考えて決断する。

―ななみん
 挑戦、と言えばオットーさんはこれまで留学だったり、屋台の開業だったり比較的大きめなことを成し遂げているように思いますが、物事を決断するときはどのようなことを大事にしているんですか?

―オットーさん
 「その時々で変わってくるんですが、僕結構ゆっくり決めるタイプですね。じっくり悩んで、長いものは3年間ぐらい寝かせてから決めたこともあります」

―ななみん
 なんというか、意外です。決めごとは早そうな印象だったので…。

―オットーさん
 「ええ、屋台でいえばバイトさんを雇うかどうかとか、メニューだったりとか」

―ななみん
 少し話題がそれるんですが、屋台の料理の商品開発の思い出など聞いてみたいです。

―オットーさん
 「ラーンゴシュは今は人気だけど最初は全然売れなくて、生のチーズをハンガリーでは乗せてるけどこっちで売るときは馴染みあるようにチーズを炙ってみたらヒットしたり。商品開発はオリジナルに忠実に、売れなかったら潔く引くことも多いですよ」

 4_テレビなどのメディアに取り上げられることもしばしば(オットーさん提供).jpg  

テレビなどのメディアに取り上げられることもしばしば(オットーさん提供)

オットーさんは一拍、視線を巡らせた後、またにこやかに話を続けた。

―オットーさん
 「苦労したのは、ハンガリーはね、屋台の料理やストリートフードってその場でパっと食べるんですよ。でも、日本の方たちって屋台で買ったものも意外と持ち帰る。しかも、僕が出してるのってちょっと特殊で珍しくてなかなか買えないものだからってね、なおさら家でみんなで食べようって持ち帰ってくれるわけです」

―ななみん
 めっちゃわかります、近くに椅子がないとその場で食べることってほぼないし、すぐに商品が出てくるから、家用に多めに買って帰っちゃいます。

―オットーさん
 「屋台を始めた最初の頃はその考えがなくて。スープとか売ってたんですけど、包装とか全然持ち帰り向きじゃなかったから、おばあちゃんがスレスレに入ったスープをすっごいバランスとりながら持ち帰ってたり、車の中でえらいことになってる、とか。気づくまではご迷惑をおかけしました…」

―ななみん
 まさにカルチャーショックってやつですね…。

―オットーさん
 「そうそう。でも、屋台の食べ物でもなんでも出来立てが一番美味しいから…」

ちょっと複雑そうな笑顔のオットーさん、大丈夫です。私がこちらで代弁します。

 “みなさんで屋台に足を運んで、本場の出来立ての味を楽しんでほしい!!!”

 持ち帰っても絶対美味しいが、本場スタイルで雰囲気ごといただくのが間違いなく美味しい。いろんな人と何回だって訪れたい味だ。

 その流れで思い出の一品とレシピも尋ねてみる。

―オットーさん
 「思い出の一品は迷いますけど、やはり ランゴシュ ですね。でもすみません、レシピは企業秘密で…」

いえそんなもう!こちらこそおこがましくってすいません!
苦労も成功も味わった料理、思い入れも一層のものだろう。お話を伺いながらまた食べたくなってきてしまった…。

―オットーさん
 「その代わりに、ポンポシュもどきのレシピなら……。お店に来てくれたら教えます(笑)」

 みなさん、ぜひ一度お店に行ってみてください。
 ハンガリー料理のパラチンタを頬張りながら楽しい談笑は絶えず続き…。ハンガリー語で おいしい を「フィノン」と言うことを教えてもらったりした。

選んだ“土俵”が鳥取、そしてキッチンカー

―ななみん
 本当に素晴らしいお人柄のオットーさんですが、座右の銘などありますか?

―オットーさん
 「“逃げるは恥だが役に立つ”ですね。ドラマで有名になりましたけど、実はハンガリーのことわざを直訳してるんですよ」

―ななみん
 なんと!知らなかったです。ドラマのタイトルのイメージが強すぎて…本当はどういう意味なんですか??

―オットーさん
 「本当の意味は“土俵を選んで頑張る”とか、“無理をしないで自分に合った場所や環境で勝負する”というもの。場合によっては逃げてもいいよってことです」

我慢してその場に居続けるより、恥と言われて逃げたほうが役に立つ。

こんな深い意味のかっこいい言葉だったとは。オットーさんにとって、その結果が鳥取という場所で屋台を営むことに繋がっている、これまでの彼の人生を語るうえで欠かせない言葉。座右の銘とは本来このように語られるものなのだろうと思えてならなかった。

―オットーさん
 「落ち込んだりしても出かけたり気分転換したりして、ぐるぐる思考にならないで楽観的にするようにしています」

―ななみん
 でも、純粋に事業として考えたときに、同じ屋台でも鳥取よりも人がいる都市の方がはるかに売上があるんじゃないかなと思うんです。様々なご縁で鳥取だとは思うんですが、それでも鳥取で活動し続けるのはどうしてなんですか?

オットーさんは「確かにそうなんですけど…都会で屋台をやろうと思ったらはるかにハードルが高い」と切り出す。

―オットーさん
 「都会だと、人がたくさんいることもそうなんですがその分競争率がすごい。出店料とかもです。神戸の某イベントで一日出店するだけでもウン十万円とかです。そんなのまだ絶対売上げられないなって。仮に売上げて場所代がチャラになっただけでも凄いっていうか。
 別のイベントだと、出店の説明会のために2,3回東京に行かないといけないとか、選抜試験があったりとか、とんでもなく金銭的にも手間の数もハードルが高い…。あとはまだコネがないです。島根や岡山は割と声がかかるのでスケジュール組まなくても大丈夫だったりとかあるんですけどね…。

 他には、一日の体力のこととか。一人でさばける量にもやはり限界があるので、たとえ100万人でも1万人のでも売り上げはそんな変わらないですね、100万食なんて無理ですもん」

 変わらずにこやかに語るオットーさんだが、思っていたよりも厳しい世界だというのがひしひしと伝わってくる。

 5_時には冗談も飛ばしながらにこやかにアツく語ってくださった.jpg  

時には冗談も飛ばしながらにこやかにアツく語ってくださった

―オットーさん
 「なので鳥取や地方が最適だな、と思ってやっています。仮に失敗しちゃっても、田舎なら家もご飯も何とかなります。その面でも都会では大変ですよ」

挑戦のしやすさは金銭的な問題も大きい。地方ではそのあたりのハードルも優しく抑えられている。この点については感じていることも多いようで、さらに話が弾む。

―オットーさん
 「僕はきっと今後も会社組織には属さないと思うんです。断言できます。システムとか、厳しい縛りによって上司や同僚などで人間関係が苦痛になってしまいたくなくて。付き合いたくない人とは付き合わなくていい、でもそれは会社ではできないことです」

大切に人間関係を紡ぐ―

―ななみん
 なんか当たり前みたいに強要されますけど本来はそうですよね。そういうのに疲れて移住して来られたって方もよく耳にします。

―オットーさん
 「そう、業務や決められたシステムじゃない中で、助け合ったり、自分の真意を持ちながら生きていくことが大事で気に入ってるんです」

きっとみなさんもそうでしょう?と微笑みながら、オットーさん自身も言葉を確かめるようにゆっくりと頷いている。じっくり大切に自身のことをよくみつめ、同じぐらいに大切に人間関係を紡がれている。オットーさんの価値観が、私の中でこれまでのお話に繋がった。

―オットーさん
 「任せられるものは人に任せる、手伝ってもらう、それだけで幸せ。ほんのちょっとのことでもいいので、お願いしてやってもらえばその分の時間を取り戻せる。そのような人がいればさっさと頼む、いなければ作る。そうすればどんどん自分の時間が増えていきます…」

私は愚かにも思ってしまう、オットーさんほど顔が広いとそういうこともできるのだろうな…やっぱり違うんだなぁと…。いや、忘れていた。相手は鳥取、いや日本でゼロからつながりを張り巡らせてきたのだ。どうしてそうなることができたのか、その核心が彼の口からこぼれる。

―オットーさん
 「頼み事を助け合いにするんです。お願いした分、自分の苦じゃないことを代わりにやってあげる。あなたは英語得意だから教えてほしい、そのかわりに今度お弁当作ってくるね…みたいな」

 至極当然のことに聞こえるかもしれない。世の中ギブアンドテイクだ、とよく耳にする。
しかし、私が感動したのは「得意なことや好きなこと」という点。頼まれごとが自分の好きなことなら単純に嬉しいし頑張れる、返ってくるものも相手の苦になっていないことだとわかる負債のない関係。

 オットーさんが会社業務などでは絶対に実現しなさそうな人との付き合い方をしていることが、大学生の私にも理解できた。こんな風に素敵に生きてみたい。

 6_たくさんのつながりの中でオットーさんの今がある(オットーさん提供).jpg  

たくさんのつながりの中でオットーさんの今がある(オットーさん提供)

自分で開く“場”があるから人が集まり、つながりが広がる

―オットーさん
 「僕のお友達作りってね、もっぱらプライベートみたいな付き合いの人は少ないです。やっぱり仲良くなった人とは信頼してるからこそ何か一緒にコラボして事業をやったりとか、手伝いに行ったり、逆にもらったり。利己的に見えるかもだけど単なる人付き合い、というよりはお互いにちょっとでもメリットのある関係が多いです」

 やっぱり‘‘屋台’’っていう‘‘オットーさんが開く場’’ があるから単純に人にも来てもらいやすいし、そこで繋がりが生まれるのだ。「コネが欲しいんです!」って、自分が何をやってるわけでもないのに、いろんな人に会いに行くのも悪くないけど、それは本当のコネではなくて、自分がやっている土台があってこそ。そこに人が集まるし、一緒に活動する可能性が出てくる。自分の面白みや提供する価値を高めないと本当のコネにはならないのだ。

 屋台はもちろんのこと、雇用の機会であったり、コミュニティ作りだったり、地域のPRにも力を入れていきたいそう。国際交流する場を作ったり、外国人の目線で地域を良くしていきたいと今後のビジョンを語ってくれた。本当に鳥取の地域を大切に思っているのが伝わってくる。

やりたいことを恐れずにやる―

 この記事を通じてオットーさんの挑戦の姿勢や人との関わりに触れ、自分自身の幸せについて考えてみようかな…と少し焦った私。

 そんな時間を与えないようにできた現代を、様々な人と一緒になって、時には環境を変えてみたりしながら、あくまで穏やかに駆け抜けているオットーさんは、自分の好きなことを信じる勇気に溢れた人だった。どんな環境や状況であれ、この勇気は忘れちゃいけない、ごまかしちゃいけない、きっとここまで読んだ誰しもその強さに憧れたのではないだろうか。

最後にオットーさんからのメッセージをお届けする。

―オットーさん
 「やりたいことを恐れずにやってみる。給料がどうだからって安定を選ぶこともあるだろうけど、面白くなかったら結局我慢することになる、継続できないこともある。自分の真意をしっかりと持って、やりたいことをやってみてほしいです。得意なことを仕事にしてほしい。そうすることで、沢山の人と繋がることができて、それは自立に繋がるんです。色々な人にちょっとずつちょっとずつ依存して自分を形作る。その人数が多い、己の構成員が多いほど成長して倒れづらくなるんです。色々な人に関わって下さい」

 こんな幸せそうな彼が言うんだ。きっと世界にはまだ関わってない人が沢山いる。得意や好きなことを磨いて仲良くなった人に分けてあげよう、そんな生活ができる場所へ行こう。
 その勇気が足りないと思うなら、ぜひとも彼のキッチンカーを訪れて味わって、オットーさんと話してほしい。きっといい旅になるはずだ。

 7_たくさんの刺激をもらい、帰り道にも興奮がなかなか収まらなかった.jpg  

たくさんの刺激をもらい、帰り道にも興奮がなかなか収まらなかった