店の外観。とても可愛らしい扉の下のビー玉は、子供しか気づかないらしい。
赤レンガは大阪の発酵室の壁から貰ってきたそうだ。
帰省するたびに来る場所に二代目パン屋を
先代が1984年に大阪の下町にて創業以来、天然酵母パンだけを焼き続けてきた楽童。パンが身近にあった夫・拓さんが20代後半、味を残したいと後を継いだ。場所を変え、落ち着いた田舎でパンを焼きたいと、吉岡へやってきた。
大阪で使っていた先代の看板
松永さんのご家族は田舎に行くことに驚かれたが、田舎でもパン屋をやりたいという本人の思いに共感し、自分たちが楽しいと思えるようなパン屋を作りなさいと背中を押してもらったという。反対はされなかったそうだ。
拓さんの父、母の時代(1代目)は大阪の賑やかな所でパン屋をしていたが、松永さんのスタイルとしては田舎に行きたいということで、沙織さん出身の鳥取、大好きな吉岡温泉で妻と共にパン屋をしようということに。
松永さんにとってのやりがいはお客さんの声だと言う。「美味しい」「また食べたい」「毎日食べたい」そう言った声がすごく嬉しい。また松永さんの作る天然酵母パンは少し硬いため、それを一生懸命に食べてくれる人達を見ると嬉しくなるそうだ。
そんな松永さんのモチベーションは、美味しいと自信を持てる物を作ることだ。松永さん達の作る天然酵母パンは、イーストなどの化学的なものを一切使わず体に良いりんごや山芋、人参などを使っているため、香りも食感も他のものとは全く違う。だから2人の作るパンは全てがオリジナルだそうだ。また、朝家族と出来立てのパンを食べて、「美味しいね」と言う、その時間は松永さんにとってすごく幸せな時間だ。松永さんにとって、日によって膨らみ方の変わるパンはまさに生き物。パンが膨らむ時の喜びも松永さんの喜びだそうだ
鳥取に住んでみて思ったことは、
近所の人たちと親近感があり、とても優しいということ。また、自然が豊かで、住みやすい。
また、移住前後(前大阪府)で変わったことは、地域の人から野菜をもらうようになった。人への接し方が変わったこと。
店の内装。なぜもっと広い所でお店を開かなかったのかと聞いてみたところ、「これくらいがちょうどいいし、お客さんと近い距離で話せるから」と言っていた。
取材後期
・当たり前のことのありがたみを感じられた。
・都会よりも、いつも私達が住んでいる田舎の方が住みやすいことが分かった。
・自家製の天然酵母を使ったりと、自然を生かしてパン作りをしていると知れて良かった。
・人を笑顔にすることができる仕事はとても素晴らしいと思った。
まつなが さおり パン工房楽童&楽童文庫のInstagramは
@gakudou.bunko_saori