なぜ鳥取で働いているのか
もともと、宮城県に住んでおられた神山さんご夫婦は、東日本大震災に遭われ、避難のために奥さんの地元であるこの鳥取にいらっしゃった。また、息子さんが震災で多くの犠牲者を目にしたことにより精神障害になったため、宮城県には住むことができなくなり、息子さんを助けるためにも鳥取に住み始めることになった。
避難してからは、鳥取県や市からの支援でささえられ、鳥取にとても恩を感じた。恩返しをしたいと思い、市の臨時職員として1年半くらい働いたが、その間に国府町内の各公民館で料理を提供することがあり、料理を作り提供している間に、自分はやっぱり料理が好きだと改めて感じるようになった。
そんな時に、料理を作らないかと声をかけられたことがきっかけでお店を借りて商売をすることになった。
神山さんの思い
神山さんは、今まで培ってきたものを皆さんに味わっていただきたいという思いで、和洋折衷問わず、創作料理という形で料理を出している。お客さんに喜んでもらえるような料理を出すよう心がけている。
毎日すること
朝、今日いらっしゃるお客様に、どういったものを召し上がっていただければ喜ばれるかをまず考えてからお店に行く。材料を並べてみて、来られるお客様に出す材料を見る食材が「今日は私を使って!」と言っているようなものを、その日の1品料理に使いメイン料理にする。他のお店だと、1つの料理を目玉料理にしてそれをずっと出し続けるが、神山さんは1パターンだとつまらないため、毎日メイン料理を変える。それだけに苦労はあるが、美味しいものをお客様に作って喜んでもらえたらとても幸せな気持ちになる。
「そろそろ」を開店するまで
人に料理を振る舞うのが好きだった神山さん。小学校の頃の夢は蕎麦屋で働くこと。中学卒業後、調理学校を受験し合格。しかし、中学校卒業後すぐに働くことはとても苦労が多いからと家族に反対され、仕方なく高校に行くことを決めた。それでも高校に通いながら独学で料理を勉強。神山さんのお兄さんが中学卒業後、寿司屋で働いていて、その縁で神山さんも同じ店で働くようになった。そして、寿司屋で学んだ後は、和食や洋食などといった料理をいろいろなお店で学んでいた。宮城で自分の店を経営していたときに東日本大震災に遭い、鳥取に避難し様々な人達との縁で鹿野に「創作味処 そろそろ」 を開店することになった。小さいころから、「料理を作ること、それを人に振る舞うことが好き」だった神山さんは、生き生きと、そして心から楽しんでお店を経営していらっしゃる。
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そろそろの庭
経営するまでに苦労したこと
宮城県で寿司割烹を営んでいた神山さんだが、2011年3月11日の東日本大震災で被災。神山さんのお店は潰れ、借金だけが残ってしまった。その後鳥取へ移住し、鳥取県庁近くの馬場町で5~6年ほど場所を借りてお店を開いてい>た。ボランティアに支援していただき、お店の場所もお借りし、借金を返済することができた。支援が終了し、場所も立ち退かなくてはならなくなったとき、縁あって鹿野でお店を出すことができ、自分の腕を生かすチャンスとなった。
仕事のやりがい
山陰の新鮮な食材を料理としてお客さんに提供することで、同じ食材でも、家で食べる家庭の味と、私たちのお店で食べるお店の味との違いを知っていただけたらいいなと思う。お店の味を家庭でも再現できるように、お客さん に作り方を教えてさしあげ、家庭でも作って召し上がっていただくことができるよう頑張っている。この料理を通してこの町・地域を盛り上げていけたらいいなと思う。
野菜ならば、その野菜をどのように加工するか、その日の組み合わせとしてどうしたらお客さんに満足していただけるのか、料理をいかに美味しく出せるか、その一品を作るために想像することが、神山さんの仕事の楽しさだそう 。
神山さんが目指す町づくり
神山さんが思う鹿野町とは、古都であり昔懐かしい感じの街だそう。皆さんが鹿野町に訪れた時に、この歴史ある住宅を見て、何か面白いな、また来たいなと思えるような街にしたいと仰っていた。
鳥取のいいところ
鳥取の人は人情に厚く、古きものにも自分の地域にも愛着・愛情をもち、真摯に生きている方々が多い。また、宮城県で家庭をもっていた神山さんが鳥取で生活するようになってからはたくさん苦労することがあったそうだが、 地域の方々が温かく見守ってくださったり、沢山の支援をしてくださったりして支えてくれたそうです。そのようなつながりもあり、鳥取には優しい人が多いとしみじみと感じた。
鳥取には魅力的な食材も多い。魚介類においても、野菜類においても、新鮮な食材が多く、種類が豊富。また、鳥取にはジビエがあり、冬になればズワイガニなどのカニもとれて料理に使いやすい。
そんな鳥取の食材を使って、御城下御膳というメイン料理やお味噌汁など合わせて9品ある日替わり定食を作っている。その他にも御殿様御膳や御姫様御膳などの豪華な定食から丼物など、たくさんの料理がある。また、コロナ> 禍となってからは500円弁当を作っている。しばらくは続ける予定。
取材後記
自分の住んでいる地域以外の方にお話を伺うことは初めてだったが、そろそろの亭主の神山さんと神山さんの奥様はとても親切に、優しく接してくださった。また、取材の仕方を失敗した時も、進行が止まってしまった時も、優しい雰囲気でずっと待っていてくださった。優しくて親切な神山さんご夫婦に取材ができてとても良かった。
取材していて特に印象に残っていることは、「毎日すること」の記事に書いてある2つのことだ。1つは「その日に使う材料は、すべての材料を並べてその材料と相談したり、『私を使って!』と言っているような材料を使う」とい うことだ。そしてもう1つは、「目玉商品が1パターンだとつまらない」ということだ。レストランや、食堂にはそれぞれのお店の目玉商品や人気商品があり、それを作るための材料をその日に購入し、その材料を使うことが一般的だと思う。しかし、神山さんのお 店では毎日目玉商品を変え、毎日作る料理が違う。とても面白くて神山さんならではの決め方だと思う。毎日料理が変わるということなら地域の人たちや一度食べに行った人も「毎日そろそろに行きたい!」と思うのではないでしょうか。