「私にとって智頭町はありのままでいられる場所」。そう話すのは水川真菜巳さん(取材時 26歳)。様々な職種を経験したのち働き方について模索していた時に、移住転職サイトで智頭町複業協同組合のマルチワーカーの求人を見つけた。マルチワーカ―とは、複数の仕事に同時に取り組むことをいう。これをきっかけに、岡山県から鳥取県智頭町への移住を決意した。現在はマルチワーカーとして観光とデザイン業務をメインに担っている。
水川真菜巳さん
(岡村こず恵撮影,2024年9月17日)
移住のきっかけ
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言など、世の中の状況が大きく変わるタイミングで新卒入社となり、約2年間兵庫県のデザイン事務所に在籍した。その後、岡山県内で接客業を経験し、様々な働き方を探していた時、「SMOUT(スマウト)」という移住転職サイトで智頭町複業協同組合のマルチワーカーの求人を見つけ、移住を決めた。
現在は、国の指定重要文化財である石谷家住宅にて観光業を、また、智頭町役場や同組合等でデザイン業務に携わっている。大学時代に文化財保存について学んでおり、観光資源である石谷家住宅に興味をもった。また、デザイン業務なら前職のグラフィックデザインの仕事をしていた自分の力を生かせると考えた。そこで、いまの組合への就職が決まったときに面接で希望の職種を伝え、その希望が叶ったという。現在は、若い人の目線に立った観光パンフレットの作成等も手掛けている。
以前に務めていた兵庫県のデザイン事務所は、地域に直接自分が足を運んで仕事を取ってきたりするような事業者だった。水川さんは、そうした事業者の姿勢に関心があり、求人募集がなくても自分からアポイントメントをとって得た職だった。しかし、コロナ禍になり、地域に出かけることが急にできなくなってしまった。会社の中でひたすらパソコンと向き合うだけの日々をどうにかできないか、一度地元に戻ってリモートワークをしながら考え直す時間をつくることにした。
しかし、ここでも家族やなじみの地域のコミュニティのなかで、行き詰まりを感じるようになる。「自分の地元だったからこそ、地域に関心をもてなくなっていた」。自分の生きてきた環境ではない所にこそ、知らないことが沢山詰まっていて、それを知るために地方に行きたい。自立するためには、地元ではない環境が自分には必要だと改めて考えるようになった。フリーランスも含めて、さまざまな働き方を模索していたときに、同組合の求人募集を見つけた。その場所こそ、迷いの中で一度訪れたことがある智頭町での求人だった。以前、「日本仕事百貨」という求人サイトで「藍染工房ちずぶるー」という工房を知り、訪問したことがあったのだ。「あの智頭町か」。そこでの求人情報に強く惹かれた。「田舎暮らしに興味があったし、セカンドライフにしなくても、今からやっちゃっていいんじゃないかな」。思い切って、智頭町への移住を決めた。
水川真菜巳さんの職場の一つである石谷家住宅にてお話を伺う
(岡村こず恵撮影,2024年9月17日)
マルチワーカーとしての働き方
マルチワーカーとして働くことを選んだのは、毎日同じ場所で同じ人々と働くよりも、環境を毎日適度に変えて働く方が、自分の精神的や生活のリズムを取りやすいと思ったからだという。人間関係が広がること、そして一つの場所で行き詰まらなくなることが、水川さんにとってのマルチワーカーとして働く魅力だ。「複数の場所で働くことで人脈が増え、地域の方々に名前や顔を覚えてもらえることがうれしい」とは言うものの、限られた日数の中で地域の人々や仕事場の仲間に信頼を得ることは簡単ではない。そのプロセスを通じて地域の人々とより深くつながり、町民になじんでいる感覚を持つことが水川さんにとってはやりがいでもある。
水川さんは、自分の強みを「ありのままでいられること」だという。移住前の社会人生活では、ある意味で“自分を作って”仕事をしている自覚があった。自分が考える「いい部下」に、自分を作り変えようとしていたという。しかし、智頭町では良くも悪くも素に近い自分を受け入れてもらえて、自分のキャラクターを抵抗なく出すことができている。これは、智頭町での人間関係において仕事とプライベートの境界線が曖昧であるからと水川さんは考えている。仕事とプライベートを分けるとプライベートでの交流が負担になってしまうが、曖昧だと交流が苦ではなくなったそうだ。むしろ、地域の行事ごとに積極的に足を運んだり、地域の人にとって身近な話題を取り上げて親近感をもってもらうなど、信頼を得る努力が無理なくできるようになった。これは、自分にとって大きな変化だった。
いま悩ましいことは、自分のキャリアを模索する必要があると感じていることだ。智頭町では暮らしと働くことの境界線が曖昧で、だからこそフットワーク軽く自分らしく居られると考えている。しかし一方で、資格やスキルなど確かなものを身につける必要性も感じていて、デザイン関係や智頭町の役に立てるような実践的な資格の取得には関心がある。今後は複業組合の職員としてはもちろん、自分自身の持っているデザインのスキルなどで、地域で名前を知られるようになりたいと考えている。
水川さんに石谷住宅の解説を受ける
(岡村こず恵撮影,2024年9月17日)
智頭町での暮らしぶり
水川さんは、出身地である岡山県で働いていた経験もありながら、地元を離れて智頭町で暮らす良さとは何だろうか。個人的な視点であると前置きしたうえで、「実家と適度な距離感を保てること」だという。実家まで車で片道2時間ほどの距離で、連休のときに帰省すると良いリフレッシュになるという。いまの自分には、このくらいの距離感が、自分のペースを保ちやすいと感じている。
また、智頭町には、多くの移住者が居て、移住者と地元の人とのコミュニケーションのバランスが、うまくとれているように感じている。地方都市では少子高齢化がイメージされやすいが、智頭町では20,30歳代の移住者が多いため、年代も比較的バランスが取れているという。さまざまなコミュニティに積極的にかかわるようになったからこそ、地域に広い人脈をつくることができるようになった。
ただ、周囲の草刈りや雪かきなど自然に対する対応力はもっと高める必要性を感じている。現状は他力本願な面もあり、今後の自分の課題とのことだった。
大切なことは、自分がどうありたいか
他の多くの大学生と同様に、水川さんも学生時代に自己理解や自己分析を熱心に取り組んだが、腑に落ちることがなかった。しかし、智頭町に来てから「どこで働こうと、どこで暮らそうと、“誰か”の声に影響されることが多いかもしれない。しかし、どうありたいかを自分の中に持っておくことができれば、きっと自分に合う環境を作ることができる」と思えるようになったという。特に就職活動では、「自分は何をやりたいか」を問われることが多いが、ある程度キャリアを重ねたり、自分の強みが分かってくれば、「自分は何ができるか」という視点から仕事や住む地域を探すこともできるようになる。自分のスキルを使って他者に貢献する、その先に新しい未来が見えるかもしれないと語る。
水川さんの職場の一つである石谷家住宅の門構え(鳥取県八頭郡智頭町)
(岡村こず恵撮影,2024年9月17日)
石谷家住宅の庭園(鳥取県八頭郡智頭町)
(松崎風音撮影,2024年9月17日)
〈水川真菜巳(みずかわ・まなみ)さんプロフィール〉
岡山県総社市生まれ。大学は新潟県にある公立のデザイン大学に進学。働き方について様々な形を探していた時、智頭町複業協同組合のマルチワーカーの求人を見つけ、移住を決意。現在は観光とデザイン業務をメインに活動している。将来的には、自身のスキルによって地域で名を立てることを目標にしている。
石谷家住宅の前にて
(岡村こず恵撮影,2024年9月17日)